師匠へ年末のご挨拶。

2023年12月16日 15:16
カテゴリ: つぶやき

本日は師匠へ年末のご挨拶へ。
ひさしぶりの押上駅。
外国人だらけでびっくり。

押上駅から10分ほど歩いて師匠のお稽古場がある。
スカイツリーができる前は業平橋に住んでいた師匠。
そのお稽古場にもよく通ったなぁ。

今年もご挨拶が済んだら、お互いの近況報告。
その後は、次回お囃子ライブの【今様望月】をみてもらった。

11歳からお稽古に通い始めて35年も経つのか。すごいな…
改めて数字にするとね。年齢もバレますね。
私が11歳の頃、師匠は22歳だった。
師匠はまだ藝大の4年生で、ある日仕事場で、一般人が突然楽屋に尋ねてきて、さぞびっくりした事だろう。
「笛の先生を探している」と言うと、「私で良ければ」と快く引き受けてくれた。
場所は日暮里にあるサニーホールでのことだった。
その日から私は師匠の1番弟子となった。

若くて可愛い大学生のお姉さん。
先生に会いにいくのがとても楽しみだった。小学校5年生の冬、茨城県の家から当時池袋の要町に住んでいた師匠のお宅に週一で通うことになった。
中学高校は池袋に通いやすい様に都内の学校に通った。6年間の青春時代(ギャル時代)も短いスカートでお稽古に通ったっけ。

そんな風に、師匠の背中を常に追いかけながらお稽古を続け、およそ9年後にずっと憧れていた藝大生となった。
在学中に鳳聲晴代の名前を許され、師匠と同じ女性として、お囃子方としての生き方を身近で見て様々学んだ。
当時はまだまだ男尊女卑の残った芸界。
男性陣の中に入り、女性としてどんなふうに振る舞い、同じお囃子方として生きていく道があるのか。
家元の鞄持ちと、師匠の鞄持ちをしながら、知らない世界のあれこれを学んだ。
学んだのは笛の技術だけじゃなかった。
デビューしてもう25年か。

師匠が突然いなくなってしまったら…と
最近たまに考える。
私は一人前になったつもりでも、師匠に甘えてる部分は大きい。
まだまだ聞きたい事が沢山ある。

最近、歳のせいか、滅多に私を褒める事がなかった師匠が、私の舞台を真剣に見てくれて「良かったよ」と褒めてくれる場面が多くなった。
嬉しい様で少し寂しい。

今日のお稽古でもそう。
「ここはまだ改善の余地があるね」
「でも、後は良いよそれで」

10年前には考えられなかったな。
こんな言葉が貰えることはまずなかった。

頼ってくれる事も多くなった。
何でも先々に考えて、とても真似できない様な先回りの行動する師匠が、私に大事な仕事を任せる様になった。
それも「あなが思う様に自由にやって」と。

それも嬉しい反面どこか寂しい。

もっと叱って欲しい。
あれだけ私を叱り飛ばして来たじゃないですか!!
若い時は怒られると不貞腐れてたっけ。
理不尽に怒られることも多かった。
でも、大概は私がどこに行っても恥じない様な囃子方に育てるために師匠も必死だったのかなと…そう、今なら思える。

今年も終わる。
2023年も、無事に幕引きができそうだ。

いつか夢が叶うなら。
もっともっと歳を重ねた師匠と、大笑いしながらお酒を飲み交わし、私がどれだけ師匠に憧れて来たかを面と向かって話してみたい。
きっと恥ずかしがって難しい顔をするのでしょうね…

後10年、20年…
そんな日が来るかな。
私がお酒飲みながら先生に想いを伝えるなんて…
想像ができないけど。
私が日々思って来たことはいつか伝えたい。

来年も師匠の背中を追いかけます。
絶対に追いつけない。
絶対に追い越せない師匠。
ずっと憧れのひと。

今日もお稽古ありがとうございました😊

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